あなたの会社は人気者?

スペック別の対策

募集側として考えるべきことはいくつもあるのですが、実質的に採用の矢面に立つ人事や現場担当が会社の就労要件についてどうこうすることは難しいと思います。それでもなお、採用面接は社内規程に沿って手を抜かずにやるべきです。その結果、採用が滞った場合、おそらく上層部から「なぜ採用に至らないのか」について説明を求められるかもしれません。そうなったとき、応募者が少なく、要件を満たすほどの人材に恵まれないことと、その原因について詳らかにすることで、会社を変えていくチャンスが生まれます。

実際のこうした就労要件の変革は上層部の変革や組織編成などと抱き合わせで行われるものですから、時期的なものや総務や人事だけでなく経営層への事前の刷り込みも必要です。

古いタイプの会社の場合、現在の実情を上層部が把握しておらず、ひどく時代遅れの企業に成り果てているケースが多いです。そうした会社が変わっていくには「優秀な人材は我が社に応募すらしてくれない」ということを理解して貰う必要があります。

最も嫌われる3つの就労条件

優秀な人材にかぎらず、全ての人から嫌われる就労要件があります。これらの要件を未だに放置している会社が多いですが、実質的にこうした要件のある会社に流れる人材は業界の残渣です。

年間休日日数が120日に満たない

カレンダー通りの休日を保証していれば、年間休日日数は120日を超えます。それに満たない会社というのは、世間が休んでいる日に働いているということです。そうした会社は応募者の方から一番最初に「120日未満の会社は紹介しないでくれ」と捨てられます。そして実際、120日未満の会社は応募者に紹介されません。あなたの会社の求人票は永久に印刷されることはありません。

一つ現実をご紹介しましょう。ある職種に対する募集企業1,500社を対象として、年間休日日数の割合を計算すると、以下のような結果となりました。

  • 120日以上…90.2%
  • 110日未満…6.7%
  • 100日未満…2.9%

実際にネットで募集要件みていると、120日未満の会社って結構みかける気がするでしょう。それは、その企業が常時募集をかけ続けているからです。実際の絶対数は非常に少ないです。そしてそうした企業に、優秀な人材がわざわざ応募してくることはありません。絶対にありません

入社時には120日なのに、その後の部署編成で休日日数を削る会社もありますが、法に触れずに労働者が不利になる変更を行う会社は誰からも信用されず、おそらく全ての労働者から嫌われ、蔑視され、ネットに実情を書き込まれ、慌てて改善しても後の祭りです。

残業が多い

残業が多くても構わないという人もいますが、それは「仕方がない」と思っているからです。自分から残業をしたいと考えている人はよく訓練された奴隷で、優秀な人材ではありません。

今は募集要項で平均残業時間を記載する必要があり、実際に入社した後で実情と乖離がある場合、クレームの原因になります。またそこで嘘を書いても、口コミサイトに実情が書いてあります。

月の平均残業時間が50時間を超える場合、残業で稼ぐ優秀な奴隷が集まります。その中に、会社を良くしていこうとか、効率よくスマートに仕事をしよう、労働者としてもっと高度な働き方ができるように成長しようと考える人はいません。

月の平均残業時間が20時間前後というのが一番多いパターンですが、この20時間というのは曲者で、一日平均1時間という意味と捉えると「定時になってもだらだらと仕事をしてなかなか帰りにくい雰囲気があるクソみたいな職場環境」と容易に見抜かれてしまいます。実際に20〜40時間程度の残業を行う職場では、定時になると半分くらいはスマホを弄って周囲の様子を伺いつつ帰るタイミングを見計らっています。

「先輩より先に帰るのは気が引ける」「みんな残業してるんだから。。。」
こういう考えがありませんか?日本は欧米より職場の人間の仲間意識が強いです。
この考えに縛られてしまうと次のように悪魔のスパイラルに陥ります。
仕事が定時に終わっても周りのせいで、定時には帰りづらい

だったら頑張って仕事を終わらせても意味がないので、仕事で手を抜く

慢性的に、労働生産性が低い状態が続く

日本人はなぜ仕事の効率が悪いのか?

ちなみに私が就労している部署は私の独断で残業を禁止しています。この「残業は禁止」という要件を求人票に盛り込むと、かなり高スペックな人たちの争奪戦になります。この売り手市場で左うちわで選考できるようになります。

勤務地が未定

もっとも厳しい要件は、勤務地が決まっていないケースです。

営業系のような常に外に出ずっぱりの仕事であっても同様です。訪問先が事前に決まっている技術営業やルート営業の人気は高いですが、飛び込み専門に中途採用で来る人はいません。またIT系でもほとんど偽装請負に近い状態で他社のオフィスに派遣され、狭い机にひしめき合って働いて、プロジェクトが終わると別の会社にまた派遣されるという人身売買をやっている会社は非常に多いですが、こうした会社のエンジニアは総じて仕事が全くできないです。優秀なエンジニアはこんな会社には入りません。

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これは会社の事業に関わる部分で、なかなか変えることが難しい要件だとおもいますが、働く人の目線で考えれば、こういった就労場所も住む場所もちゃんと決まらない仕事に就いてしまうと、人生の設計もできなくなります。

現職者に対してやってはいけないこと

新しい人材を募集するからと言って、現職者をないがしろにするのは職員の信頼を失う行為です。現職者に対する理不尽な扱いは、内部に深刻な爆弾を抱えることとなり、それはいつか必ず静かに爆発します。

後日、退職の書類を記入しに会社に行きましたが、やはりそこでも暴言の嵐。
「死ね」や「殺す」はもちろん、「テメーの家に乗り込む」や「殺してやるから表出ろ」といった、半ば脅しに近いような内容でした。

退職時の対応について

こうした情報がひとつふたつのうちは良いですが、調べると膨大に検出されるようでは、著しく能力の低い人材しか応募がなくなり、飲食店のように何ヶ月募集を出し続けても電話はリンともいいません。

またこうした職員に対する対応は人材会社でもほぼ把握しており、登録者や紹介者から苦情があった場合はブラックリストになります。ブラックリストに登録されてしまうと、募集広告は出せず、いくらお願いしても求人票すら作ってくれなくなります。

最終的にそうした会社は脛に傷ある人材、元受刑者とか現役犯罪者とか元関東連合とか元広域指定暴力団構成員とか、そういう人しか雇用できなくなり、社会的な価値を生み出す企業ではなくなります。

会社の立地で人が来ない

会社が駅から15分以上離れている場合、田舎の車通勤があたりまえな会社であれば良いのですが、都心にほど近い企業であれば電車通勤者の大半から背を向けられます。

社屋を移転できればよいのですが、それが難しいのであれば会社として労働者にアピールする付加価値を生み出す必要があります。労働者には膨大なサービス残業で付加価値を求めておいて、労働者のために付加価値を創出できないのであればお笑い草です。盆暗社長が芋煮でも作って残業してる犬たちに配ったらいいと思います。

誰でもいいから育てる

どうしても良い人材が集まらない場合に、上層部が口にする夢物語です。

そもそもそれだけ条件の悪い会社には、最初からどうしようもない人材残渣しか残っておらず、そうした人間は自分自身以上に人を育てることはできません。

実際に経験した中では、実に愚かなOJTによって人材を使い潰し、本採用直前に退職されてしまうという無様な結果となった部署がありました。あまりに酷いと聞いて採用面接にオブザーバー参加したところ、学生時代のことを聞き、スキル面ではほとんど深く突っ込まず、「人柄が良さそうだから」という理由で採用にしようとしていました。

こうしたフィーリング面接では、伸び代のある人材をみつけることはできません。偶然よい人材を捕まえたとしても、使う前に逃げられてしまいます。

人を育てるにはそれなりのコストと時間が必要ですが、伸び代のある人材と、そうした人材が逃げ出さない職場環境と労働条件が絶対に必要です。ロジカルに考えれば自明のことですが、都合の悪い事実から目を背けるのが残念な企業の特徴です。

努力と汗と涙の会社は滅ぶ

汗を流して努力を惜しまずお客様に感動を与える企業は事業面で成功しても、おそらくPLはボロボロです。高額筋トレジムを運営するクッキー美顔器バブルを経験した例の企業は、大体連結で本体のボロを出さないようにしていますが、つぶさに観察すると、実質的に収益性はよくありません。価格に透明性のない業界に低価格路線で切り込んでくるベンチャーのほとんどもその土台は精神論によって塗り固められており、そのポリシーを企業成長に伴って変えていくことができなければ、組織化することは難しくなります。

室伏氏の父・重信氏もハンマー投げ選手で日本記録保持者だったが、「父いわく、1日12時間も投げ続けたことがあったそうだ。練習は決して裏切ることはないと精を出していたそうだが、実際は記録が落ちていった」(室伏氏)。

1960年代は、身体を鍛えるために学校教育でもウサギ跳びを推奨していた時代。科学的根拠もなく、ただひたすらに苦痛を伴うトレーニングが横行していた。

ITpro号外メール

努力や感動といった概念は企業活動に必要ありません。それは精神論の一種で、合理主義によって淘汰される存在です。

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